谷井治療室のキネシオロジー日記
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木鶏(もっけい)

 今回は、MTS治療やキネシオロジー診断に於ける心構えに参考になる逸話をご紹介いたします。










木鶏(もっけい)とは中国の古典「荘子」外篇にある話です。

 昔、周の宣王のために闘鶏を養う紀省子という名人がいた。
ある日、王が名人に尋ねた。「どうだ、もう闘えるかな」 紀省子は「いや、まだでございます。今はまだ、むやみに強がって威勢を張っています」
十日して王が尋ねると、「まだです、ほかの鶏の鳴き声を聞いたり、姿を見ると、たちまち身構えます」
十日して王が尋ねると、「まだです、ほかの鶏の姿を見ると、にらみ付け、気負いたちます」
十日して王が再度尋ねると、すると紀省子は「もう完璧です。ほかの鶏が鳴いても、もはや反応もしません。
まるで木で作った鶏としか見えません。徳が充実しました。ほかの鶏で相手になろうとするものなく、背を向けて逃げ出してしまうでしょう」
転じて、無為自然。何事にも動ぜず、常に平常心でいられること。のように使われます。
(福永光司著・荘子)




 大横綱双葉山にまつわる逸話として「われ未だ木鶏足りえず」の語がつたえられている。双葉山はある酒の席で、陽明学者であり政治学、哲学者の安岡正篤より相撲は単なる勝ち負けでなく心を鍛錬し、天にいたる道だいう考えを「木鶏」の話にたとえて聞かされて、感銘し自らの相撲道を励んだという。安岡正篤は元号の「平成」を考案した人だという。



 その木鶏の話とは「荘子」達生篇の中の語。
すなわち、これは人の道のことで、徳が充実していれば、戦うとか、勝つとか負けるとか一切の計らいも無く無為自然の心の状態である。無我無心の状態であれば相手の敵対の心を無くし、戦わずして勝つというより呑んでしまう無心の働きなのだ。
この無心のはたらきを禅では木鶏にたとえ「木鶏子夜に鳴く」という。子夜の子は子(午前零時の子の刻の子(ね)のことで、人知れぬはたらき、分からぬうちにということ)で、無心の象徴的用い方である。


 この木鶏の話頭を自らの道とする相撲に当てて、精進努力して69連勝の大記録を打ち立てたのが双葉山である。だが、そんな双葉山もついに安芸の海に破れてしまう。そのとき安岡正篤は欧州旅行中のインド洋上船の中、双葉山は「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」の無線連絡をしたという有名な話は今も語り継がれる


 


 





 治療に於いても、小手先のテクニックよりも何よりも、この「木鶏」の境地で行えることが一番であると思います。私も更なる努力に励みます。

MTS治療と身体のニュートラル

 MTS治療では、検査や治療の時の術者の姿勢をとても大切にします。MTS治療ではこのことを体勢と呼んでいます。


 治療に限らず、武道、スポーツ、芸能などその道に秀でた人は皆、姿勢が良くその構えが決まっています。上虚下実(じょうきょかじつ)の状態で、いわゆる丹田の決まった姿勢になります。この姿勢では、肩の力が抜けて下腹部の中心(丹田)に氣が充実しています。この状態ですと、身体に無駄な力が入らず安定し、身体の隅々まで氣がスムーズに流れます。


 明治から昭和にかけてその生涯を中心・丹田の研究に捧げた肥田春充(ひだはるみち)師によって開発された肥田式強剣術 はすばらしく、勉強になることばかりです。私も簡易強剣術は毎日行っています。


肥田春充



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



肥田春充(ひだはるみち 1883年12月25日 - 1956年8月24日)は日本肥田式強健術の創始者。


山梨県西桂村(現在の山梨県桂町小沼)において、医師川合立玄(はるつね)の五男として生をうける。幼少期は病弱な上痩せ細っていたため、「茅棒」のあだ名がつけられ、2度死の宣告を受ける程の虚弱児であった。数え年18歳にして心身改造に志し、古今東西の健康法、運動法を研究実践し、西洋のウェイト・トレーニング等に東洋の丹田鍛錬、氣合等を取り入れた独自の心身鍛錬法、川合式強健術(後の、肥田式強健術)を編み出す。この鍛錬は、腹のみに力を入れる丹田鍛錬、腹力をさらに押進め、腰と腹に同量の力を込め、腰腹の中心に力を込めて「腰腹同量の正中心」を鍛錬する所にその大きな特徴がある。その鍛錬によりわずか2年で、体格改造に成功。さらに体力ばかりでなく頭脳も飛躍的に向上し、中央大学法科・明治大学政治科・明治大学商科・早稲田大学文学科の三大学四学科に入学する。在学中は、各大学の剣道、柔道、弓道等の選手となり、明治大学では初めて柔道部を創設し、初代キャプテンとなる。


大学卒業後、処女作『実験 簡易強健術』を出版、強健術を世に問う。この本はベストセラーとなり、世に強健術ブームを巻き起こす。その数ヶ月後、志願兵として近衛歩兵第四連隊に入隊、主計中尉となる。ここでも強健術の研鑚を欠かさず、椅子に腰掛けたままで行える「椅子運動法」等を考案する。


その後1917年(大正6年)、肥田家の婿養子となり、静岡県田方郡津島村八幡野(現在の静岡県伊東市八幡野)に住み、ここで強健術の鍛錬に没頭するとともに、恩師 押川方義らと共に国事に奔走する。1923年(大正12年)に、腰腹同量の聖中心力を悟得してからは精神的な悟境もいよいよ深くなり、の高僧からもその境地を認められる。またそれまで研究していた、自然療法を「天真療法」として大成させ、自身の半生と悟境を綴った主著『聖中心道 肥田式強健術』と合冊で発表する。この本において、中心力を応用した独自の「中心力抜刀術」や「中心力護身術」「中心力雄弁法」「中心練磨法」等を発表している。


太平洋戦争前夜にはこれを回避すべく大川周明などと協力し、私財を擲って奔走した。戦中には憂国の念止み難く、東条英機に終戦勧告を二度に渡って書き、自決の覚悟をするも、自身の悟境より見た「世界人類の救済」との悲願を樹てることにより、死を思い止まる。その後は、人類救済のための宗教哲学の研究に没頭し、この研究を「宇宙大学」と呼ぶ。この時の原稿は積むと人の背丈程にもなり、その一部は死後「宇宙倫理の書」として出版される。


晩年の1955年(昭和30年)には、社団法人「聖中心社」を設立し、多年研究の宗教哲学に基づく平和運動を展開するも、その設立後一年にも満たない1956年(昭和31年)8月24日、人類の前途を憂うる余り、水も取らない49日間の断食の後死去。享年72歳。


生涯を通じて多数の政治家軍人学者文人などと親交があり、様々な影響を与えている。主な親交があった人物として、押川方義、松村介石、新井奥邃、二木謙三、加藤時次郎、佐藤精一、中里介山徳富蘇峰村井弦斎大川周明、蓮沼門三、山下信義らがあげられる。また、実兄 川合信水(山月)(1867−1962)は、郡是製糸株式会社に教育部を創設し、後に基督心宗を創始した宗教家、教育家である。



[編集] 略年譜



  • 1883年 明治16年 12月25日 山梨県西桂村小沼において、川合家の五男として誕生

  • 1888年 明治21年 重症の麻疹にかかり、2度死の宣告を受けるも一命を取り留める

  • 1900年 明治33年 4月 心身の根本的改造に志し、古今東西の健康法、体育法を研究実践し、独自の鍛錬法を創出する

  • 1902年 明治35年 4月 2年間の鍛錬により筋骨隆々となり、中学に入学する

  • 1907年 明治40年 9月  中央大学法科、明治大学政治科、商科、早稲田大学文学科へ入学

  • 1910年 明治43年 三大学、四学科を卒業

  • 1911年 明治44年 4月 処女作「実験 簡易強健術」文栄閣 刊行 ベストセラーとなり、各地公官庁、学校にて講演会が数多く開催される  11月 「腹力体育法」文栄閣 刊行  12月 近衛歩兵第四連隊に入営

  • 1913年 大正2年  5月 退営 この年、「二六新報」に強健術の連載を行う

  • 1914年 大正3年  3月 「心身強健術」武侠世界社 刊行

  • 1915年 大正4年  1月 父 立玄死去

  • 1916年 大正5年  8月 「強い身体を造る法」武侠世界社 刊行

  • 1917年 大正6年  2月 静岡県田方郡対島村八幡野の肥田家の婿養子となる

  • 1918年 大正7年  8月 「心身強健体格改造法」 尚文堂 刊行

  • 1920年 大正9年  6月 「強圧微動術」 尚文堂 刊行

  • 1923年 大正12年 1月 「独特なる胃腸の強健法」 尚文堂 刊行  6月 「聖中心力」を悟得し、肥田式強健術がほぼ完成する

  • 1924年 大正13年 9月 講演集「この大獅子吼を聴け」 尚文堂 刊行

  • 1925年 大正14年 10月 「健康の中心を強くする法」尚文社 刊行「川合式強健術」 尚文社 刊行

  • 1927年 昭和2年  4月 「根本的健脳法」 尚文堂 刊行

  • 1936年 昭和11年 10月 「聖中心道 肥田式強健術・天真療法」 聖中心道研究会 刊行

  • 1937年 昭和12年 3月 「講演及び随筆」 聖中心道研究会 刊行  7月 平田内蔵吉との共著「国民体育」 春陽堂 刊行

  • 1938年 昭和13年 2月 平田内蔵吉との共著「国民医術天真法」 春陽堂 刊行

  • 1939年 昭和14年 この頃より、1941年にかけて、日米戦回避のために大川周明らと奔走する

  • 1940年 昭和15年 9月 谷村金一との共著「生は死よりも強し(簡易治療宝典)」 大日本健康増進協会出版部  刊行

  • 1943年 昭和18年 憂国のあまり、一日として怠らなかった「正中心練磨」の鍛錬を自発的に放棄し、痩せ衰える  10月 東条英機に終戦勧告を書き送る

  • 1944年 昭和19年 2月 東条英機に自決勧告の遺書を書き、自決直前に思い止まる、この時より放棄していた「正中心練磨」を再開し健康を回復する

  • 1946年 昭和21年 4月 深夜連続の「人類救済」のための真の宗教、哲学、科学の学的、体験的研究をはじめる(この研究を「宇宙大学」と呼ぶ)

  • 1952年 昭和27年 3月 「日本の使命」 信修行道(株) 刊行

  • 1955年 昭和30月 10月 肥田通夫との共著「一分間の強健法」 全国農業出版KK 刊行  11月 社団法人「聖中心社」創設 

  • 1956年 昭和31年 8月24日 人類の将来を憂い、水もとらない49日間の断食の後死去    



 中村天風(なかむらてんぷう)師によって発表されたクンバカハ法は両肩の力を抜いて、丹田に気を充実させ、肛門を締めることにより心と身体の統一を実現させ、その効果ははかり知れないものがあります。別名、神経反射の調節法と呼ばれ、外界からのマイナスの要因から自分の自律神経を守る作用もあるのです。


中村天風



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



中村 天風(なかむら てんぷう 1876年7月20日-1968年12月1日)は日本初のヨガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広める。



[編集] 来歴


1876年中村天風(本名三郎)は大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として現東京都北区王子で出生。


父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。
王子村(現北区王子)や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、福岡屈指の名門校、修猷館中学(現修猷館高校)に入学。
幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能になる。
柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺、修猷館を退学になる。その頃、玄洋社頭山満の知遇を得る。

16歳の時に頭山満の紹介で陸軍の軍事探偵(特殊工作員)となり、満州へ赴く。


明治37年3月21日コサック兵にとらわれた三郎は銃殺刑に処せられるところであったが、ギリギリの瞬間に部下に救出された。
113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの一人。

日露戦争後30歳にして、奔馬性結核を発病。


33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、アメリカへ密航する。途中アメリカでは自らの病の原因を尋ねてコロンビア大学自律神経系の研究を行ったとされる。
イギリスに渡った後、フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候し、各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった。

1911年日本への帰国の途上、カイロにてインドのヨガの聖人、カリアッパ師と邂逅。


そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第三の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。

1913年日本へ帰国途上、中国で孫文の第二次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力。その謝礼として財産を得た。東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。


1919年突然感じるところがあり、一切の社会的身分、財産を処分し、「統一哲医学会」を創設。街頭にて教えを説き始める。  


政財界の実力者が数多く入会するようになり、会は発展していく。

1940年「統一哲医学会」を「天風会」に改称。


1962年国の認可により「財団法人天風会」となる。


1968年12月1日帰霊。享年92。



[編集] 主な著書



  • 真人生の探求(財団法人天風会)1947年

  • 研心抄(財団法人天風会)1948年

  • 錬身抄(財団法人天風会)1949年

  • 成功の実現(日本経営合理化協会)ISBN 493083855X

  • 盛大な人生(日本経営合理化協会)ISBN 4930838592

  • 心に成功の炎を(日本経営合理化協会)ISBN 4930838800

  • 運命を拓く(講談社文庫) ISBN 4062637391

  • 哲人哲語(財団法人天風会)

  • 安定打坐考抄(財団法人天風会)

  • 叡智のひびき-天風哲人箴言註釈 (講談社)ISBN 4062082632

  • 真理のひびき-天風哲人新箴言註釈 (講談社) ISBN 4062076950

  • いつまでも若々しく生きる(日本経営合理化協会)ISBN 4930838975

  • 君に成功を贈る(日本経営合理化協会)ISBN 4891010207



 MTS療法では、診断と治療の精度が命ですので、術者自身のチューニングの意味も含めて、体制の鍛錬は欠かせません。私も日々、中心感覚を大切に努力してまいります。