谷井治療室のキネシオロジー日記
谷井治療室の院長の日記です。
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おしらせ
10月10日(土)は、MTS研修会のため、お休みとなります。13日火曜日より通常どうりおこないます。
林家三平
先日、林家三平(初代)最後の弟子である、林家とんでん平の落語会に行ってきました。とんでん平さんは、札幌市の市会議員もされている方で、福祉にも力を入れており、手話落語も取り入れ、海外でも活動しているそうです。

この、とんでん平さんが、自分の師匠である林家三平についていくつかの思い出を語っておりました。

まず、内弟子にたいして、言葉づかいに厳しく、外に出かけるときは 「いってきます」 ではなく、「いかせていただきます」 と言わなければいけなかったそうです。

その理由は、内弟子が家を留守にして外に出かけるということは、家の皆さんに自分の留守中にいろいろと迷惑をかけ、お世話になると言うことで、その気持ちを 「いかせていただきます」 と言う言葉に込めているとのことでした。

次に、落語家は、「人を笑わせる修行よりも、泣く修行からはじめなさい」 と教えられたそうです。つまり、修行時代は泣くほどの苦労をまずしなさいと言うことだと思います。

そして、弟子にはなんでも一番になりなさいと教えていたそうです。

このお話を聞いて私も、先代の林家三平師匠に対する見方が変わりました。

私も、痛みを取るよりも、まずは人の痛みがわかる治療家にならなくてはと思いました。



多摩テック閉園
きょう、「多摩テック閉園」の記事が飛び込んできました。東京出身の私にとってはとっても寂しいニュースです。

私が幼稚園児のときに、幼稚園の行事で行ったのが初めてで、妻と結婚前に行ったこともある思い出の場所です。

今は札幌に住んでいるので、残念ながらもう行くこともないと思いますが、もし東京に住んでいたら子供達をつれて遊びに行っただろうなぁ〜と思います。

不況による来園者の減少と、施設の老朽化が理由だそうですが、思い出の場所がなくなるのはやっぱり寂しいです。そういえば、小田急向ヶ丘遊園も何年か前に閉園しましたが、こちらも私の思い出のひとつでした。

いまは、東京ディズニーランドの一人勝ち状態ですが、巨大資本の強者ばかりが生き残る今の社会。その影で消えてゆく大切な思い出。とてもやるせない気持ちです。

多摩テックの従業員の方々の今後に、幸あれとお祈り申し上げます。
ホタルが消える?
いま、ホタルが日本から消えてしまうと話題になっています。原因はいろいろあると思いますが、一番の原因として注目されているのが外来生物のコモチカワツボという巻貝だそうです。TBSの報道特集NEXTでも取り上げられています。“危険生物”が犯人か ホタルの光が消える? (2008/7/5 放送)


ホタルの幼虫はカワニナという巻貝を食べて大きくなりますが、コモチカワツボを食べて育つと生育が悪く光も弱くなるそうです。マグネシウムがホタルの発光を左右するそうで、コモチカワツボは残念ながらマグネシウムの量がカワニナの10分の1とも言われています。


人間もマグネシウムなどのミネラルやその他の栄養素が不足してしまうと、本来の輝きがなくなってしまうのではないかと感じました。見た目はよいのに、栄養価のない食べ物が氾濫している人間社会のほうも心配になりました。
縁を生かす
私が好きなホームページに「ぴあの屋ドットコム」というものがあり、そこからのメルマガに心に響くお話がありましたので、以下に掲載いたします。


その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。

後半の記録には
「母親が死亡希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」。

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」。

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」。

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
(月刊「致知」2005年12月号鈴木秀子シスターの連載より)